地震
東日本大震災で被災を受けた方に、心よりお見舞い申し上げます。
と一応形式的にいってはおきます。
でも、なんかそういう言葉では伝わらない想いがあり、被災を受けた方々のことを想うと、何も言葉がでてこないというのが正直なところです。
3月11日。地震のあった日、僕は、横浜ランドマークタワーの37階の職場で仕事をしていた。どんどん揺れは強くなり、スライド式の書類棚も右へ左へガツンガツンと音を立て、隣に日揮のビルが左右にゆっくりと大きく揺れているのがわかった。すぐに携帯のワンセグで状況を確認する。
しばらくして、防災センターからのアナウンスが流れた。
「臨港パークに避難して下さい。」
臨港パーク?津波とか大丈夫なのかなぁ・・・と思いながら上着を着る。ただし、正直行きたくないなぁというのが本音。何故なら、避難訓練もしてわかっていたことだが、37階から非常階段を使って降りるというのは、結構大変なことなのだ。非常階段は左周りに降りていくわけだが、それが結構飽きる。
そのうちに、
「臨港パークに避難しても安全です。」
とかいう玉虫色のアナウンスが流れる。
避難訓練の甲斐もなく、防災センターの人がとりあえずパニクっている。落ち着いた方がいいと思い、僕は上着を脱いだ。
とはいえ、まだまだ余震が続いていて、みんな仕事どころではない。そんなところに、
「ぶるーさん、電話でーす。」
といって電話がかかってきたのだった。
つづく。
と一応形式的にいってはおきます。
でも、なんかそういう言葉では伝わらない想いがあり、被災を受けた方々のことを想うと、何も言葉がでてこないというのが正直なところです。
3月11日。地震のあった日、僕は、横浜ランドマークタワーの37階の職場で仕事をしていた。どんどん揺れは強くなり、スライド式の書類棚も右へ左へガツンガツンと音を立て、隣に日揮のビルが左右にゆっくりと大きく揺れているのがわかった。すぐに携帯のワンセグで状況を確認する。
しばらくして、防災センターからのアナウンスが流れた。
「臨港パークに避難して下さい。」
臨港パーク?津波とか大丈夫なのかなぁ・・・と思いながら上着を着る。ただし、正直行きたくないなぁというのが本音。何故なら、避難訓練もしてわかっていたことだが、37階から非常階段を使って降りるというのは、結構大変なことなのだ。非常階段は左周りに降りていくわけだが、それが結構飽きる。
そのうちに、
「臨港パークに避難しても安全です。」
とかいう玉虫色のアナウンスが流れる。
避難訓練の甲斐もなく、防災センターの人がとりあえずパニクっている。落ち着いた方がいいと思い、僕は上着を脱いだ。
とはいえ、まだまだ余震が続いていて、みんな仕事どころではない。そんなところに、
「ぶるーさん、電話でーす。」
といって電話がかかってきたのだった。
つづく。
コメント 0